自然良能会 足利支部 オザワ骨盤整体院
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患者さんから寄せられた貴重な手記です

先天性股関節脱臼 −難病に前向きに挑んだ闘病記−
患者さんの治療体験報告・・・
『三度の手術の勧めを拒みつつ耐えた歳月!』


群馬県館林市 桑野 芳子さん(仮名・50歳)

不安な気持ちで、整形外科の診察を受けました。案の定レントゲンの結果、先生から「あなたの股関節は形が悪いし、未発達なので手術をお勧めしますが、命に関わることではないので、今すぐでなくても良いです。でもいづれ、五十歳頃には、手術を受けるようになると思いますよ」と言われました。
でも幼い子と、慣れない家業を継いでくれている主人ことなどを考え、手術は見送ることにしました。原因が分ったので、日頃どんなことに注意して生活すれば良いか尋ねると、「足に負担をかけないよう太らないこと、荷物を持つときは姿勢に注意をし、なるべく重い荷物は持たないこと」と言われたのです。これが第一回目の手術を見送った、私29歳の時でした。


それからは、時折、痛みを感じながらも手術をする日が来るまで、上手に自分の足と付き合うしかないと思い、常にそのことを頭におき生活をするようになったのです。そして15年、子育て、家業の他、子供とガールスカウト活動を10年間やり、山へキャンプに行ったり、ハイキングをしたり社交ダンス、書道なども習い、時が過ぎて行きました。そんななか、昭和63年、父の他界、平成8年、従業員の定年退職と、私の仕事の割合が次々と増えていきました。

 ところで家業ですが、肥料、飼料、穀類を扱う仕事です。私にとっては、禁止されている重い物を持つことばかりなのです。肥料は20キロ、穀類は30キロ近くもあるものですが、お客様の手前、持てないとは言えず、ついつい肩に担いだりしていました。それに加え、平成7年から11年まで、都合で主人の母が同居することになり、生命の危機を伴うような大手術で半年の入院をし、車で往復1時間かかる病院へ行ってのお世話、退院してしばらくすると、実母の痴呆が始まり、目が離せなくなりました。

仕事と家庭の両立で、1日1日を過ごすのが精一杯で、足をいたわる余裕もなく、痛いときは、シップを貼り、それでも、時には痛くて、どちらを向いても痛みが治まらず、眠れない夜を過ごしたこともありました。しかし、まだまだ他人が見ても、そう足が悪いと感じるほどでもなく、とくに疲れた時以外は跛行することもありませんでしたが、考えてみると足には相当無理をさせていたと思います。平成11年9月、長女の結婚で、準備や引越しとまた無理をし、そのころから足の痛みが頻繁になり、自分でも、歩くのに不自由を感じるようになってきました。

11月、二度目の整形外科訪問です。初診、股関節専門の日に、再診さらに大学病院の先生の予約診察を受け、「あなたの股関節は、もうこれ以上悪くならないというところまできているので、すぐに手術の予約をして下さい」と言われたのでした。覚悟はしていたもののショックでした。痴呆の母の世話をする人がいません。先生に事情を話すと、「あなたの足ですから、我慢できるのだったら頑張ってみなさい。ただ、杖をついて歩くこと、重い荷物は持たないこと」などと注意され帰宅しました。これが、二度目の手術を見送りました。私、45歳の時です。

それからは、市販の骨盤ベルトを何種類も買い、軟骨が増えるからと、干えびを粉末にして飲んだり、健康食品も、キチンキトサン、グルコサミン、カルシウムと、とにかく骨や関節に良いものを摂取して、骨盤体操なども試してみたり、一日でも手術の日が遅くなるよう願いながら、仕事と痴呆の母の世話、六回の入退院の看病と、まさに戦いの日々が四年半続きました。とくに母が寝たきりになった後半二年間は、おむつ交換、着替え、車椅子への移動等々、どれをとっても足に負担がかかることばかりです。もう、とっくに限界を越え、気力だけで持ち堪えていたようなものです。

平成15年6月、母が亡くなり、痛み止めを飲み葬儀を済ませ、それから四十九日、八月新盆、九月初彼岸と来客も多く、足をひきずりながらの日々でした。折悪くし、商売も10月11月は年間で一番忙しい時期で、そのころは、毎晩、足に電気按摩をかけ、湿布を何枚も貼り、それでも翌朝、痛みも疲れもとれず、家のあちらこちらを捉まりながら歩き、家事も、仕事も、最低限やっとこなす状態になってしまいました。左足がとくに悪く、痛いのでいつも浮かしていないとならず、当然、右足に体重がかかるので、そのうち右の付け根まで痛みが出るようになってしまったのです。

このままでは歩けなくなってしまうかも知れない、という一抹の不安を胸にかかえ、自分を慰めるのです。生まれつき障害を持っている人もあるではないか、今まで好きなことをし、楽しいことも沢山できたのだから、そんな自分を幸せと思わなくてはいけない、と。でも、足は、悲鳴をあげています。そろそろ手術を受ける時期がきたようです。

ところが翌平成16年2月、家の新築の計画があり、準備を進めている最中でした。手術をしたら歩けなくなるかも知れない、家が建つまで、何とか足をもたせよう。マッサージに行こうか、整体にしようかと考えている時、骨盤調整・骨盤矯正と書いてあるオザワ骨盤整体院の宣伝広告が目に止まったのでした。

「これだ!!」その広告を見た瞬間、そう思ったのでした。ここへ行ってみよう、と。

平成15年11月6日のことです。すぐにオザワ骨盤整体院に予約の電話を入れると、休診日にもかかわらず診察して下さるとのことでした。私は、不安でドキドキしながら、車で約30分、足利市の治療院に着きました。治療所へ入るとすぐが待合室。そこの書棚でます目に飛び込んできたものは、五味先生の股関節脱臼の本でした。それを手に取り、ひろい読みしたのですが、そこに書かれていた文字は、これまでにない刺激的で、具体的な説得力に充ちたものでした。

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院長より

難病に前向きに挑んだ闘病記−
プラス思考の努力で治る手応えを確信し・・・

 
先天性股関脱臼・・・・・本当にやっかいな難症です。長い年月をかけて悪くしたものですから短期間で成果が出るものではありません。それこそ何年も何年もかかる症状です。現代医学(整形外科)では、この症状は治せません。なぜなら根本原因である「骨盤」を無視しているからです。

骨盤が歪んで一方に傾けば、上方に変位した方の足が短くなるのは当然です。その狂いが左右両方の足に負担をおわせ、より悪くしていくものです。現代医学は単純に両方の長さをそろえるために、長いほうの骨をけずったり、脱臼癖がついて擦り減った骨頭を人口骨頭に着け替えたりと、実に乱暴な手術をします。

それでも(当然のように)治らなくて、我々の骨盤調整を頼ってくる例が多くあります。骨盤調整ではかならず結果を出します。ただ股関節脱臼だけは、変化が出るまでかなりの期間がかかりますので、患者さん自身がなかなか成果の見えないことに焦れて、あきらめて治療をやめてしまう例があります。

 その点、群馬県館林市から通ってきた桑野芳子さんは、大変まじめな頑張り屋さんでした。前向きなプラス思考で対処し、難症といわれた股関節脱臼を克服された人です。

この症状を治すには、なによりも患者さん自身の根気と努力が必要です。同時に私たち治療家の努力、患者さんを少しでも良くしてあげたいと励む姿勢が大切だと、桑原さんの治療を通して改めて痛感したのでした。